poec_watashino’s blog

数年前から古めの日本映画を観ています。

取り残される「おかあさん」の戸惑い   成瀬巳喜男「おかあさん」

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1952 年 新東宝 98 分

監督:成瀬巳喜男  / 脚本:水木洋子

配役

母(正子):田中絹代

父:三島雅夫

庄吉:加東大介

長女:香川京子

 

 戦後、下町で小さなクリーニング店を営む一家が、長男、父を次々と亡くしつつも健気 に生活していく姿を描いた映画。 子供たちの無邪気な姿、若い男女のさわやかな恋模様など楽しいシーンが多いのだが、この映画で心を掴まれるのは、「おかあさん」として生きる女が垣間見せる、容赦ない時の流れに戸惑う表情である。

 戦後のがれきだらけの中、夫婦と息子一人、娘 2 人、そして美容師の勉強中の妹から預かっている甥っ子一人の家族。母・正子は家族に愛情を注ぎながら、戦前営んでいたクリーニング屋を再建しようと夫と一緒に懸命に働く。しかしその道半ば、息子、そして夫を病で亡くしてしまう。一家は困窮するが、正子はクリーニング店で生計を立てていこうとする。そんななか、娘たちも甥っ子も、そう遠くない将来にいなくなってしまうことを、生活の中で少しずつ、目の前に突きつけられていく。 

 

 毎日暮らしていくだけで月日は過ぎ、ひとり、ふたりと家族がかけていく。子供は成長していく。にぎやかで幸せな時代は、徐々に終わっていく。これから自分はどうなるのか。自分のためにしなければいけないことがあるのではないか。そんなことが頭をよぎるうちにまた、目の前にいたはずの子どもが去っていく。その戸惑い。ふとした瞬間に「おかあさん」が見せる、一人の女の心許ない表情に胸が締め付けられる。

 

 夫の死後、クリーニング店を手伝いにきてくれた庄吉。 戦前、夫の仕事の弟子だった彼は、世慣れてもいたが職人気質で、真面目に店を手伝い、正子に技術や客あしらいを教えてくれる。そんな二人だから、うまく協力して店を切り盛りし、近所は二人の再婚を噂する。 それを聞いた長女は、母を奪うのではないかと庄吉を嫌う。そんな娘を母はたしなめる。しかし、女一人の商売は風当たりがきつい。頼れる男の人がいたらどんなに安心か、そんな気持ちもある。

 

 仕事終わりの庄吉に、酒とえび豆をふるまう二人だけの時間があった。

(この人は、私と一緒になって、店を続けていこうという気はあるのだろうか…。)

 そんな顔で正子は、酒を飲み豆を齧る庄吉を眺める。しかし彼女は、そんな疑問と期待を口にはしない。 庄吉は、正子に仕事を教え、店を軌道に乗せる役目を終えたら、次の仕事に就くために 去っていく。その呆気なさ。

 

 そう、「おかあさん」にとって、すべては呆気なく過ぎていってしまう。 次女は親戚の家にもらわれていった。長女はじきに嫁ぐだろう。甥っ子も、美容師免許をとった妹に引き取られていく。 息子や夫が心安らかに亡くなったのも、娘たちが母思いのいい子に育って巣立っていくのも、「おかあさん」の愛情があったから。家族は皆、母に愛を返してくれていた。だから彼女は「おかあさん」を懸命にやり続けたのだ。 そしてその先に、「おかあさん」は、どうなるのか。


 ラスト、甥っ子の相撲遊びに疲れた顔で付き合っている正子の顔に、長女のナレーション が被さる。 「おかあさんはしあわせなのでしょうか。わたしはそれが心配です。」 もう結婚相手が決まっている娘が、小さな子どもが綴り方を読み上げるような明るい声でこんなことを読み上げる、その残酷さ。

 

 この映画を、母を思う子の気持ちで観れば、母への同情を含む感謝の念で胸がいっぱい になるのだろう。 しかし、公開当時、生活の合間にこの作品を観た「おかあさん」たちは、どう感じたのだろうか。その頃、夫や子どもを亡くした女性はたくさんいただろう。たとえそうでなく ても、母をやっているうちに女はいつ一人取り残されても何もおかしくはない。 うすうす感じていたけれど見ないようにしていた将来を見せつけられたような、そして気付かないふりをしていた自分自身の姿を目の当たりにしたような、この映画の露呈させるものに心を乱され、足元がぐらついた女性が多くいたのではないだろうか。

 

 成瀬巳喜男が、「おかあさん」たちに向けてこの映画を作っていたとすると、なぜこんな心に迫る丁寧な描写で、不安の具体を当事者に見せようとしたのか。それをいつも考え てしまう。