poec_watashino’s blog

数年前から古めの日本映画を観ています。

戦後を生きる男の影  ~成瀬巳喜男作品の加東大介~

 成瀬巳喜男作品の加東大介に、いつも釘付けになる。ああ、ものすごい役者だ、と圧倒される。そのあまりの巧さに恐ろしくなる。 

 成瀬映画で彼はいつも助演だ。ほんの少ししか出演しない作品もある。しかし、成瀬巳喜男の映画を観ていて感じる、人間の身勝手さ、残酷な時間の流れ、自分の思惑とは関係なく他者は関わり、去っていき、そして一人取り残される。無常の寂しさ。静かな孤独。 加東大介は、物語の傍流にいながらも、それを濃く漂わせる。


 「おかあさん」で加東大介演ずる庄吉は、主人公の亡き夫の仕事の弟子だった。彼は、母・正子と娘二人と甥っ子だけの女に、男一人で仕事を手伝いに来る。再婚の噂や、それによる長女の反発にも彼は気付いている。しかし、長女が仕事を手伝って失敗したときには責めたりせずにうまくピンチを切り抜けてくれる頼りがいのある大人なのだ。 彼は鈍感な男には見えない。正子の考えていることも当然察していたはずだ。

 しかし、それに対してどう感じているのか、どう考えているのかは、庄吉から一切伝わってこないのだ。 去り際の挨拶で正子を気遣い、子供たちにはいい子になれよと頭を撫でてやる優しさ。それなのに、庄吉はその心中を一切見せずに去ってしまう。その姿から醸し出される無常感。すごい!

 

 「放浪記」の加東大介は、林芙美子に何度も振られながらも金の窮地ではいつも助けてやる一途な男、安岡の役。やさぐれていて男の出入りも激しい、しかし自分の気持ちのままに一人で開き直り生きていく強さを持った女。安岡は、そんな女を独身のまま想い続けるまじめな印刷工。前の妻を早くに亡くし、一度深く絶望した彼は、飾らず一人で生きていく強さを持った女に惹かれるもの があったのだろう。しかし、ただ芙実子を金で助けるだけの関係が続く。

 時が流れ、芙美子は作家として成功し、安岡は印刷会社の社長になっていた。安岡はただ芙美子の様子を伺うためにだけ挨拶に訪ねてくる。芙美子は忙中ながらも彼をもてなし、なぜ私を助け続けたのかと聞く。安岡はさっぱりと、「あんたに惚れていたからなんですよ」と返す。しかし芙美子の夫の座には、今なお生活力のなさそうな別の男がいる。懸命に身を立ててきたにも関わらず、愛する女には絶対に応えてもらえない。一人で死んでいくことを受け入れている男の、非常に孤独で清潔な姿がそこにある。すごい!!


 「晩菊」の加東大介は、ほんのちょっとしか出演しない。金貸しをやっている中年女・杉村春子のところを出入りしている不動産屋の役。彼女のところには金目当てで昔の男たちが次々と訪ねてくる。彼らの思惑に浮き足立ってはガッカリしたり、容赦なく足蹴にしたり。女は昔の男たちとの関係も、その勘定をそれぞれにはじき出して、人生の残りカスすらぶった切っていく。そんな女と、現在進行形で取引をしようとしている加東大介の不穏な雰囲気。

 さんざ男も女も蹴散らした末のラスト、物件について話す加東と杉村の姿が遠目に写るだけで、損得ずくの乾ききったような女が、なおまだ痛い目に遭うであろう予感が、画面いっぱいに漂う。すごい!!! 

 

 加東大介の著作、『南の島に雪が降る』では、戦地ラバウルでの演劇部隊の出来事、そして悲痛なまでに尊い役者の仕事への決意が書かれている。しかし、戦地から戻ってきてからも役者を続けた彼は、敗戦後の日本でどんな経験をしてきたのだろう。歌舞伎の一座を新たに作るもうまくいかずに映画の世界に飛び込んだという彼は、端役から一流の役者として名が通るまで、どんな風に人間を見てきたのだろう。成瀬巳喜男の映画に写る彼を見ていると、そこを知りたくなる。


 喜劇映画でお馴染みの見事で楽しい多彩な芸を披露するわけでもない、ただ戦後の日本に生きる、一人の男の影を色濃く浮き上がらせるような演技。成瀬巳喜男の映画で、加東大介という役者のすごさを改めて思い知らされる。